内村鑑三が1894年(明治27年)に箱根において開催されたキリスト教青年会(今のYMCA)の夏期学校で講演した内容が出版されたものです。
下のリンクから読むことが出来ます。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000034/files/519_43561.html
内村鑑三が1894年(明治27年)に箱根において開催されたキリスト教青年会(今のYMCA)の夏期学校で講演した内容が出版されたものです。
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11月20日(金)
父親がこの世を去ってからしばらくたつ。色々考えることが沢山ある。今度の出来事で、今までの信仰が本当に役に立った。信仰は付属品でなかった。趣味ではなかった。知らせを受けた時も讃美歌を歌い聖書をひもとく恵みを受けた。それはただの、きのまぎらし、気晴らしではなかった。あの、気ばらしのための、うさを晴らす流行歌や、くだらない週刊誌を読むあれではなかった。力となり支えとなった。神の力である。
竹脇真理さんの11月20日の日記の冒頭部分です。
彼のお父様は、竹脇昌作というお名前で、パラマウントのニュース映画の解説や現在のTBSラジオの生番組『東京ダイヤル』のパーソナリティとして活躍されていました。
日記の記されている数週前の11月9日に悲しい選択をされ、この世を去られたのでした。多忙な毎日と生放送の重圧に精神的に大きな苦痛を抱えていたことが背景にあったという事です。
父親の自死という大きな出来事の中で、真理さんを支えたのがイエス・キリストを救い主と信じる信仰だったという告白が記されています。
大きな大きな悲しみ、苦しみを目の前に、主を讃美することが、聖書の御言葉が大きな慰めとなり支えとなったと。それが現実の生活の中で神の力を体験させることを経験したと告白しています。
私たちの日常の中に、たくさんの情報があふれています。スマホを通して、インターネットを通して、音楽だって浴びるように触れられ、心を注いで歌声に耳を傾け、大きな声で歌う事もできます。音楽だけでなく動画だって、文書だってあふれかえっています。
でも、どれだけ魂の養いをそこから受けているのだろうか?神の力を体験しているのだろうかと思ってしまう自分がいます。気晴らしや憂さ晴らしのあれこれに終始していないのだろうか…と。
やっぱり自分の心を省みる期間にあることに、あえて心を向け直してみる必要があるのだろうなと思うのです。

『勇ましく高尚な生涯』
18歳で逝った若き信仰者の日記
竹脇真理(たけわきまこと)
2002年7月1日発行 小学館
1961年にいのちのことば社より刊行された『勇ましく高尚な生涯』の復刻本として小学館から2002年に出版されました。
思うところあって、昔読んだことのある『勇ましく高尚な生涯』を探して買い求めました。
かつてまだ10代のころだったと思いますが、いのちのことば社から出版されていた小さな本を手に取り読みました。自分とそんなに変わらない年頃の真理さんが心に思い描いていたことを読みながら、自分の歩みを見つめ直した記憶があります。
思うところあって…というのは、自分の息子と話す中で、いのちを燃やして生きてほしいなぁ。キリストのためにこそ生きてほしいなぁと思うのですが、そのように生きたキリストの証人、お手本、見本を感じてほしい…と、この本を手に取ってほしいと思ったからでした。
竹脇真理さんは、俳優の竹脇無我さんのお兄さんですが、今の若い人たちにとっては、竹脇無我さん自体どんな俳優さんなのかも知らないのかもしれません。
真理さんが生きて歩んだ時代的な背景と今を生きる息子とは違い過ぎる背景もたくさんあることしょう。でもキリストに従って生きるという本質的な問題/課題は変わっていないと思うのです。
そういえば、内村鑑三先生の『後世への最大遺物』の中で、勇ましく高尚な生涯について述べられているのを後日(昔、『勇ましく高尚な生涯』を読んでからしばらくして)見つけました。
何を遺すことができるのか…。
自分自身も、もう一度考え直してみる必要がありそうな気がします。