勇ましく高尚な生涯(2)

11月20日(金)

父親がこの世を去ってからしばらくたつ。色々考えることが沢山ある。今度の出来事で、今までの信仰が本当に役に立った。信仰は付属品でなかった。趣味ではなかった。知らせを受けた時も讃美歌を歌い聖書をひもとく恵みを受けた。それはただの、きのまぎらし、気晴らしではなかった。あの、気ばらしのための、うさを晴らす流行歌や、くだらない週刊誌を読むあれではなかった。力となり支えとなった。神の力である。

 竹脇真理さんの11月20日の日記の冒頭部分です。
彼のお父様は、竹脇昌作というお名前で、パラマウントのニュース映画の解説や現在のTBSラジオの生番組『東京ダイヤル』のパーソナリティとして活躍されていました。

 日記の記されている数週前の11月9日に悲しい選択をされ、この世を去られたのでした。多忙な毎日と生放送の重圧に精神的に大きな苦痛を抱えていたことが背景にあったという事です。

 父親の自死という大きな出来事の中で、真理さんを支えたのがイエス・キリストを救い主と信じる信仰だったという告白が記されています。
 大きな大きな悲しみ、苦しみを目の前に、主を讃美することが、聖書の御言葉が大きな慰めとなり支えとなったと。それが現実の生活の中で神の力を体験させることを経験したと告白しています。

 私たちの日常の中に、たくさんの情報があふれています。スマホを通して、インターネットを通して、音楽だって浴びるように触れられ、心を注いで歌声に耳を傾け、大きな声で歌う事もできます。音楽だけでなく動画だって、文書だってあふれかえっています。

 でも、どれだけ魂の養いをそこから受けているのだろうか?神の力を体験しているのだろうかと思ってしまう自分がいます。気晴らしや憂さ晴らしのあれこれに終始していないのだろうか…と。

 やっぱり自分の心を省みる期間にあることに、あえて心を向け直してみる必要があるのだろうなと思うのです。

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