ルカによる福音書2章15節には「天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。」(新共同訳)と記されています。(RSV:When the angels went away from them into heaven, the shepherds said to one another, “Let us go over to Bethlehem and see this thing that has happened, which the Lord has made known to us.”)
行こう!見よう!という羊飼いの思いが心に留まりました。
いろいろなリスクやそれぞれの都合はたくさんあるでしょう。でも…それでも主が告げ知らせてくださったのだから、それを見たいと動き出す心に心が留まりました。(新改訳聖書では、「見届けて来よう」と訳しだしています。)
羊飼いたちの経験は、単に見た、聞いたということで終らずに心にしっかりと刻み込まれたことを思います。新共同訳聖書でも新改訳聖書でも、「知らせてくださった」「出来事」と訳していますが、英語の訳でも[知らせてくださった]”the Lord has made known to us.”と訳しだされていますが、原文で使われている単語には、「知るようになる」”to come to know, to make known”の意味がある単語が用いられています。
ですから、見た、聞いたことが、心の中に留まって「知るようになったこと」があって、それを実際に見たい、もっと確かに知りたいという願いに変わっていったように思わされたのです。
日常の生活の中で、いろいろなことに心を捕らわれて、どうしても鈍くなっている感覚が否めません。日常の中では残念ながら鈍くなっていることにも気が付けないことがあります。そんなときに、みことばを通して心を動かしてる羊飼いたちの姿に思いを揺さぶられる…。
今日も、行こうよ。見て来ようよ。主の働かれるその現実をと心を動かしたいと思わされました。