神のかたち

神は言われた。「我々のかたちに、我々の姿に人を造ろう。そして、海の魚、空の鳥、家畜、地のあらゆるもの、地を這うあらゆるものを治めさせよう。」

神は人を自分のかたちに創造された。 
神のかたちにこれを創造し 
男と女に創造された。
(聖書協会共同訳 創世記1章26-27節)

  神は人を「神のかたち」に造られたことをどう理解するかによって、私たちの生き方や方向性が大きく変わってくるように思う今日この頃です。

 男と女に創造されたことも、「神のかたち」との関連で考える時に、結婚ということも、夫婦の関係ということも新しい意味を持ってくるように感じ始めました。

 結婚式の折に、創世記2章18節に「また、神である主は言われた。『人が独りでいるのは良くない。彼にふさわしい助け手を造ろう。』」と告げられていることについて、何度も何度も「助け手」というのは「向かい合う者」なのだと語ってきましたが、「助け手」として向かい合い生きることも、「神のかたち」として生きる側面のように思えてきました。

 言い換えると、神のかたちとして生きるためにこそ、助け合う関係があるとしたら、私たちの夫婦の関係はどこを目指すべきなのかをもう一度立ち止まって考えてみる必要があるのだろう….と。

 そんなことを思いめぐらしていると、以前、前田誠氏の「不在の神は“風”の中に」の中にあった文書を思い出しました。

 男はヘブル語で「イーシュ」。女はヘブル語で「イッシャー」です。
それぞれאִישׁとאִשָּׁהと書きます。それぞれがアレフとシンという同じ文字を持っている一方、男だけがヨッド(ローマ翻字で表現すると、「Y」)を、女だけがへー(同様に「H」)を持っています。

 この男のYと女のHが夫婦として一つになるときに、お互いが持っているYとHが一つになる。ばらばらにいる時には気が付かないYH(ヤハ)つまり「主」が現れてくるという事でした。(逆にYHが失われると、)אשしか残りません。それは「火」を意味するエーシュです。一体となった男と女がバラバラになると、そこには火しか残らないと。それは燃やし尽くしであり、神の裁きを指し示すものとなります。

 神のかたちをアイコンと考えるならば、結婚を通しても神のアイコンとなる生き方が求められているでしょうし、そのために助け合う、向かい合う存在になるプロセスを意識するようになるのではないでしょうか?

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です